京都府長岡京市にある光明寺は、1198年に創建された歴史あるお寺。
日本の宗教史を語る上では欠かせない人物とゆかりのある場所で、奇跡の舞台とも言われています。
今回は光明寺の歴史と見どころ、そして美しき紅葉トンネルまでご紹介しましょう。
光明寺の歴史
京都府の南西に位置する長岡京市は、古代日本の首都でした。
長い歴史を持つ町なので、町内には数多くの歴史的建築物があります。
今回スポットを当てるのは、1198年に創建された光明寺です。
法然上人が初めて念仏を唱えた地、光明寺
光明寺の法然上人の銅像
光明寺は浄土宗の一派、西山浄土宗の総本山で、西山のふもと粟生広谷にあります。
浄土宗の開祖は円光大師法然上人。
法然上人がまだ若い24歳の時、学問に優れた師を求めて比叡山から降りた彼は、とある村の夫婦に一泊の宿を借ります。
夫婦は法然が仏教の悟りの道を求めて旅をしていることを知ると、真の教えを見つけたときは自分たちに教えを説いてくれるよう法然にお願いしました。
月日が流れた1175年。
浄土宗を開いた法然は、夫婦との約束を果たすため、現在の光明寺がある場所で初めて念仏を説いたそうです。
その時の法然上人の年齢は43歳。
20年越しの約束でした。
法然上人と武将の出会い、光明寺発祥
熊谷直実の騎馬像(JR熊谷駅北口/埼玉県熊谷市)
時代の変わり目は、激動期となることが多いです。
法然上人が生きた平安時代末期から鎌倉時代初期も例外ではありません。
この時代に起きた出来事は、源平合戦。
数多くの人々が死ぬ一方で、多くの敵を討取った人には名誉が与えられました。
熊谷直実も源平合戦で大活躍した武将です。
彼は平敦盛との一騎打ちに挑み、見事に打ち勝ちましたが、同時に敦盛が我が子と同じくらいの年頃の若者だった事に酷く心を痛めます。
そしてこれまで自分が重ねてきた罪業を償い、極楽往生の道を求めようと、法然上人の元を訪れました。
救われるには切腹や手足の1本や2本を切り落とさなければならない。
そう覚悟していた直実に、法然上人は彼の人生を変える一言を送ります。
「どんなに罪は深くとも、念仏さえ一心に申せば必ず救われる」
参考:光明寺公式サイト
この言葉にひどく心を打たれた熊谷直実は、すぐに頭をそり上げ、法然上人の弟子となるのです。
熊谷直実には「法力房蓮生」という名前が与えられ、法然上人のもとで修業が始まりました。
数年の修行の後、法力房蓮生は静かに念仏を唱えられる地を求めます。
1198年、法然上人ゆかりの地、粟生広谷に寺を建設し、法然から「念仏三昧院」の寺号が与えられました。
この念仏三昧院が後の光明寺です。
法然上人の死と奇跡
光明寺 紅葉 薬医門
晩年、法然上人は新しい教えを打ち出したことにより、比叡山の旧仏教団から迫害を受けます。
さらに朝廷の怒りを買ってしまった為に、当時の天皇から念仏の停止と四国への島流しを言い渡されてしまいました。
約5年後には赦しを得られて京都に戻ってくることが出来ましたが、高齢での長旅がたたってかそのまま病に伏せてしまい、帰京わずか数ヵ月後の1212年1月25日、法然上人は極楽へと旅立ってしまいます。
しかし、死後も広まり続ける彼の教えに、業を煮やした旧仏教団の攻撃は止まりません。
1227年、比叡山の僧たちが法然の遺骸を鴨川に流そうと企てたのです。
事前に計画を知った法然の弟子たちは、元の墓所から現在の京都市である太秦の西光寺へと石棺を移し隠します。
そして翌年の1月20日の夜、法然上人の石棺から一筋の光明が放たれるという奇跡が起きたのです。
弟子たちがその光の筋を辿っていくと、そこには法然が初めて念仏を唱えた地とされる、粟生広谷の念仏三昧院がありました。
距離的にも由縁的にも墓をつくるのにピッタリだと感じた弟子たちは、同月25日に火葬した法然の遺骨を念仏三昧院の裏山に納め、御廊堂を建設しました。
この時の奇跡にちなんで、念仏三昧院は光明寺と呼ばれるようになったのです。
文化遺産光明寺の見どころ紹介
光明寺は文化遺産に登録されているほど、歴史的価値の高い建築物です。
事前知識を持って訪れることで、光明寺を何倍も楽しめます。
そこでここからは絶対にチェックしたい3つのポイントについて解説します。
「浄土門根元地」と書かれた石碑
京都 春の光明寺
総門の前に「浄土門根元地」と記された大きな石碑が建っています。
先に紹介した法然上人とある夫婦の約束を覚えていますか?
この石碑が建っている場所こそ、法然上人が夫婦との約束を果たすために、初めて念仏を唱えた場所なのです。
石碑の近くには、光明寺の歴史や長岡京市の名所の地図などがあります。
ぜひ石碑の前に立ち、歴史を感じてから境内に入ってください。
御影堂後門(みえどうごうもん)
光明寺の御影堂と紅葉
光明寺にある32の建物の中で、最も大きいのが御影堂です。
「御影堂」とはその宗派の開祖に見立てた仏像(本尊)を祀る場所。
極楽の様子をイメージした豪華な装飾がほどこされた内部は荘厳で美しく、その中央に法然上人が自ら作った「張子の御影」が祀られています。
光明寺を訪れたらぜひ御影堂をご覧になってください。
内部の美しさもさることながら、戦火に巻き込まれる度に造りなおされた外観は、当時の職人技術の高さを感じられます。
法然上人袈裟掛けの松
光明寺 御影堂
光明寺のお坊さんたちのお気に入りの場所が、法然上人袈裟掛けの松。
袈裟掛けの松は、法然上人が初めて念仏を唱えた後、着ていた袈裟を脱いで掛けた松です。
もともとは本山の奥深くの松の木に袈裟をかけられたそうですが、1982年に株分けされたものが光明寺内にあります。
実際に袈裟が掛けられた松のある場所には小さな石碑が建てられ、法然上人が生きた時代の雰囲気を今でも感じられるそうです。
元の地までの道は、小坊主が先輩お坊さんから口頭で伝えられ、お坊さんたちの間ではある種の伝説になっているそうですよ。
光明寺の紅葉トンネル
光明寺の紅葉
歴史ある光明寺は、地元の人々からは「紅葉寺」と呼ばれることもあります。
境内には何百本もの紅葉の木が植えられており、秋になると真っ赤なお寺へと大変身するのです。
特に門前にある参道は、道も楓に埋め尽くされ、約200mにわたる幻想的な「紅葉トンネル」になります。
以前は隠れスポット的存在でしたが、2009年にJRの「そうだ京都、行こう」のポスターに写真が使用されたことから、全国有数の紅葉スポットとしても知られるようになりました。
青もみじの粟生光明寺薬医門
オススメのシーズンは紅葉が見られる秋ですが、春から初夏にかけての新緑の光明寺もまた綺麗です。
緑に囲まれていると、自然と涼しさを感じ、心もリフレッシュされますよ。
また光明寺では「随身学生」という小坊主が仕事の一環で、光明寺の諸堂案内を行っています。
未来の法然上人を目指す小坊主と触れ合いながら、光明寺の歴史について学ぶのもいいですよね。
必ず思い出に残る時間を過ごせるはずです。光明寺の歴史を知った今、ぜひ実際に訪れてみてください。
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