鎌倉時代、神奈川県の三浦市には源頼朝氏に仕えていたのが三浦一族でした。この一族の名前は、現在の三浦市や、三浦半島の名前の由来となったことでも有名です。三浦一族が領地として守っていた、最後の砦とした新井城があった土地です。
現在は京急油壺マリンパークや、東京大学岬臨海実験所が建てられております。こちらの土地の地形は、ぐるりと海に囲まれ、陸に上がろうとする土地は皆、険しい崖になっており、自然の要塞とも呼ばれていました。当時新井城の周りの土地は、堀り切られ一つの島としてなっていたようです。
現在は観光スポットや、海水浴場、ヨットのプールなどで利用されている油壺を、歴史とリンクさせながら巡るコースをご紹介したいと思います。
油壺湾
油壺には、油壺湾というリアス式と呼ばれる海岸の入り江があります。相模湾に面しており、南には名向崎、北には網城崎があり丁度挟まれた真ん中に位置します。
名前の由来は、湾内が穏やかで油を流した時の様に静かだという事から名づけられた説と、鎌倉時代に三崎城が落城した際に、打ち破られた三崎氏の死体から流れ出る血が漂い、まるで油を水に落としたように漂っていたことから名づけられたという説もあります。
リアス式海岸特有の穏やかな海ですので、釣り船やプレジャーボートなどの、避難港としても活用されています。
磯釣りが大好きな釣り人はとても人気な湾で、手軽に釣りが楽しめる磯場が多いので、今日はちょっと行って釣りがしたい時にサラッと楽しめるスポットです。釣り場が余り荒らされていないので、魚も釣りやすいので、釣り初心者の方でも楽しめます。
京急油壺マリンパーク
京急油壺マリンパーク入り口(出典:Wikipedia)
かわいいペンギンたちがお出迎えしてくれるペンギン島は大人気!
「京急油壺マリンパーク」は1968年の年の4月に、旧海軍浸水学校、神奈川県立三崎水産高校があった跡地にオープンしました。京急電鉄株式会社の創立70周年の記念を飾るものです。この周辺には、豊かな自然環境が多いことから、油壺自然環境保全地域に認定されています。
京急油壺マリンパークは、ペットと楽しめる海のレジャーランドとして人気があります。三浦半島に生息する希少な生き物が展示されていたり、「タッチプール」と呼ばれる、名前の通り直接生き物に触って体験できるブースなどがあります。主に大きなサメやイカの標本なども展示されており、大きな実物を見ることができます。
その中でも「あしか島」、「ペンギン島」、イルカのプールなど屋外に展示されているブースが人気です。面白いのが、「ペンギン島」にいるペンギン達は、全てのペンギンに名前がついている訳ではない…という斬新な島です。中には、名前の付いているペンギンがいますので、名前のないペンギン達には、ぜひあなたが名前を付けてあげてください!
油壺京急マリーナ
油壺京急マリーナからは富士山もバッチリ!
油壺京急マリーナの夕陽。富士山とのコントラストが美しい!
油壺湾の奥程にあるのが、国内でも規模の大きさと歴史のあるマリーナです。三浦半島の南側に位置する、この油壺京急マリーナは、緑に囲まれた自然豊かなマリーナです。ロケーションも最高で、富士山を相模湾の先に一望できる絶好の場所です。
こちらのマリーナなでは年に2回の大きなイベントが開催されます。真夏の8月には「油壺京急マリーナ夏祭り」と呼ばれる、夏祭りが開催されます。音楽や、フラダンスと言った生ライブや、マリーナの施設内にはまぐろのカマ焼きなどの、油壺京急マリーナならではの食材を使った屋台なども出店します。秋には「京急社長杯ヨットレース」が開催されます。
こういったイベントでは、日頃ヨットに触れたことのない方も興味をもっていただく機会として、行われている様です。
荒井浜海水浴場
荒井浜海水浴場は海の生き物の宝庫です。
荒井浜海水浴場の夕陽
京急油壺マリンパークの近くにあるのが、「荒井浜海水浴場」です。こちらは、意外と穴場の小さな海水浴場です。海水は透明で、魚や海の生き物も沢山いるので、浅瀬でシュノーケリングが楽しめる為、家族や、カップルが多い海水浴場です。
荒井浜海水浴場にある、「海上亭」という海の家は、一年中営業しているという、物凄く稀な海の家もあるので、ぜひオフシーズンにも立ち寄ってみてください。夕暮れには、海の向こうに雄大な富士山のシルエットが浮かび上がって、写真スポットとしても最高のロケーションです。
三浦道寸の墓
胴網海岸を臨む、木が生い茂った高台に、三浦道寸の墓があります。鎌倉時代に幕府を二分して政権争いをしていた、新井城主の三浦道寸同は、三浦一族最後の当主です。日本史における、籠城戦と呼ばれる、城の中に立てこもり、攻めたり守ったりする戦の中で、稀とも言えるほどの凄惨な物だったようです。
最後は永正13年1516年、北条早雲が率いる軍の、3年にも渡る攻撃に耐えられず、この城で自刃したと言われています。
油壺の名前の由来でも少し触れましたが、この新井城で自刃した将兵たちの真っ赤な血で、湾一面が染まり、油が流れ出してしまったような状態であったということから、油壺と呼ばれるようになったともされています。地名には、その時代にあった出来事が背景となり名づけられることが多いのです。
玉縄城址(たまなわじょうあと)
三浦道寸を追い詰めて落城させた、北条早雲によって、三浦氏の新井城を落とすために永正9年1512年の鎌倉時代に築城されたものです。
天然の要塞と呼ばれ、数々の攻撃にも耐え抜き、難攻不落と呼ばれていた玉縄城は、天正18年1590年、豊臣秀吉によって徳川家康に命ぜられた、小田原攻めの際、包囲され開城しました。
当時の面影はあまり残っていないのでずが、龍宝寺から通じる七曲坂や、久成寺から通じるふあん坂を歩くと、その当時の面影が残されています。
北条早雲は戦国武将の本名は、伊勢盛時といいます。伊勢盛時が在命中に「北条早雲」と名乗ったことは無く、死後二代目の氏綱が「北条氏」と名乗るようになってから、早雲と呼ぶようになったとのことです。
かつて生きた武将の痕跡を辿ってみる。そんな楽しみ方もできます。
諏訪神社
祭神は建御名方神(たけみなかたのみこと)、大山昨命(おおやまくいのみこと)が祀られています。建御名方神(たけみなかたのみこと)は、様々な神を司っており、五穀豊穣や武運長久軍神などのご神徳とされています。
大山昨命(おおやまくいのみこと)は山の神と言われております。毎年こちらの神社では、春祭(はるまつり)と呼ばれる祈年祭(きねんさい)が2月12日が行われます。夏の8月27日には例祭(れいさい)というお祭りがあり、4年に1度には神輿渡御が行われます。また、秋の11月23日には秋祭り(あきまつり)の新嘗祭(にいなめさい)などが行われています。お祭りに合わせて、諏訪神社に訪れてみるのもいいのではないでしょうか?
まとめ
鎌倉時代に最後の砦と言われる新井城があった『油壺』は、今はディープな観光スポットとして、地元の人々や、情報ツウな人々が訪れるエリアです。日本が歩んできた歴史の建造物などが楽しめるスポットがあったり、海の自然を楽しめるスポットがあったり、また、豊かな自然の恵みを味わえるお店があったりと、油壺には魅力溢れる場所だということが分かりました。
1日あれば楽しめる、油壺の魅力をギュッと濃縮したスポットをご紹介させていただきました。それぞれの歴史に思いをはせるのも良し!海を満喫するも良し!ぜひ一度、油壺に訪れて観光スポットめぐりを楽しんでみてはいかがでしょうか?
その際は、訪れる前にこちらを参考にプランを立ててみてください。
※掲載内容につきましては、弊社独自の取材に基づき作成しています。
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