高島ちぢみは、滋賀県高島市が誇る伝統的な織物です。
通気性や吸水性に優れていることから、主に肌着や布団カバーなどに用いられており、現在は海外にまで販路を広げています。
一時期、ライフスタイルの変化や後継者不足などにより衰退してしまいますが、地域の団結によって確固たるブランドの地位を築き上げました。
今回は、高島ちぢみの特徴や歴史などを紹介します。
高島ちぢみの特徴や魅力は?
高島ちぢみ(びわ湖高島観光協会HP)
高島ちぢみとは、滋賀県高島市で江戸時代から生産されている綿100%の織物です。
サラッとした着心地で通気性や吸水性に優れており、高温多湿な日本の気候に適しているため、主に肌着やパジャマなどに利用されてきました。
現在はクールビズの影響もあって、シャツの素材としても人気を呼んでいます。
ちぢみ生地の断面図(高島晒協業組合HP)
高島ちぢみは、高島織物工業協同組合が整えた糸を、高島市内にある工場で織物企業が織り上げて、高島晒協業組合で漂白や染色などを行うという工程で製造されます。
一般的な織物とは違って、よこ糸を約2倍ひねっているため、表面に独特の「しぼ(凹凸)」が生まれているのが特徴です。
しぼがあることで生地が肌に接触する面積が少なくなり、肌触りのよいサラッとした着心地を楽しめます。
高島ちぢみと平織り布の違い(高島晒協業組合HP)
また、糸の本数を通常の180本から120本に減らしています。
生地のすき間が大きくなることで、風通しがよく吸水性や速乾性が高い織物が完成しているのです。
衰退の危機も!高島ちぢみ200年の歴史に迫る
高島晒協業組合の工場(高島晒協業組合HP)
現在、高島ちぢみは地域ブランドとしての地位を確立し、海外に進出するなどして生産量を伸ばしています。
しかし江戸時代から続く200年以上の歴史のなかでは、危機的状況も経験しました。
一時は500を超えた織物業者も、現在は10社程度になっています。
高島ちぢみはどうやって危機を乗り越え、ブランドとしての地位を確立したのでしょうか?
高島ちぢみの歴史について、詳しく見ていきましょう。
高島ちぢみの表面(近畿経済産業局HP)
高島ちぢみが作られ始めたのは、江戸時代の天明1781年頃からだと言われています。
当時は農家の副業として冬場に生産され、糸織り車で紡いだ糸を人力で編んでいました。
副業としては収入が多く、織った糸は和服の生地として、京都や大阪などの問屋に卸されていたのだそうです。
明治中期の1880年頃になると、高島ちぢみの評価がガクンと落ちてしまいます。
織り傷や色落ちが目立つようになり、阿波の阿波ちぢみなどに圧倒されるようになりました。
そこで1886年に組合を設立し、規格を統一したり検査を厳しくしたりして品質向上を目指します。
明治末期の1890年頃には設備を近代化し、工業生産を導入しました。
また、京都の染織学校の卒業生を採用して、技術指導などにあたらせます。
工業化と技術指導が実を結んだ結果、高島ちぢみの品質は徐々に向上しました。
この頃から全国的に高島ちぢみの知名度が上がり、海外にも輸出されるようになりました。
しかし、第二次世界大戦を前にした1933年、日本が国連を脱退したことで綿製品のボイコットを受け、海外への輸出量は一気に激減。
そして1939年から始まった第二次世界大戦の影響を受け、設備の縮小も余儀なくされてしまいます。
大井川鉄道SL重連運転
戦後、日本が高度成長期に突入すると、高島ちぢみは肌着やカジュアルウェアなどにも用いられるようになりました。
輸出も好調だったのですが、逆にそのことが裏目となり、アメリカからの輸入制限を受けてしまいます。
また、円高やライフスタイルの変化、後継者不足に伴う廃業などが重なり、1980年頃からは高島ちぢみの生産量は減少の一途をたどるようになってしまったのです。
高島ちぢみが復活を遂げた理由や経緯とは?
高島晒協業組合のビジョン(高島晒協業組合HP)
高島ちぢみが危機的な状況を迎えたことにより、地域は一丸となって巻き返しを計ります。
まず取り組んだのが、高島ちぢみの地域団体商標登録です。
地域団体商標制度とは、事業者の信用維持や地域経済の活性化などを目的として、2006年に導入された制度のこと。
商標制度は特許庁の管轄で、現在「松阪牛」や「吉田杉」など621件が登録されています(2018年1月31日時点)。
商標が登録されることでブランド価値や信用が高まったり、全国への販路が開けたり、生産者の誇りが高まったり、生産技術の伝承につながったりと、さまざまな効果が期待できます。
高島ちぢみでは、高島織物工業協同組合、高島晒協業組合、織物企業が協力して商標登録を目指しました。
2008年に最初の申請をするのですが、登録されたのは2012年のこと。
なんと4年もの月日を要したのです。
高島ちぢみブランドマーク(高島晒協業組合HP)
高島ちぢみは加工法の違いによって、「高島縮」や「高島クレープ」など、さまざまな呼び名がありました。
まずは名称を統一しなければならず、途中で再度申請しても認知度が低いという理由で申請を退けられたことも……。
さまざま困難を乗り越え、ようやく4年後に商標登録を叶えた高島ちぢみ。
高島ちぢみは、ひとつの団体だけで生産できる織物ではありません。
高島織物工業協同組合、高島晒協業組合、織物企業それぞれが工程を受け持つことで、200年以上の歴史がある高島ちぢみは完成するのです。
各団体が一丸となって商標登録を目指したことで、地域の協力体制が構築され、ブランドに対する思い入れも深まったに違いありません。
高島ちぢみのブランドマークは、組合のメンバーがデザインしたのだそうです。
びわ湖に面した高島市は、水の郷としても知られていますね。
高島の清らかな水にちぢみをさらしたような、さわやかなデザインに仕上がっています。
日本製であることをアピールするため、日本製というロゴつきのブランドマークも準備されています。
高島ちぢみは、ふるさと納税の返礼品にも
高島ちぢみ女性用フレンチトップ(高島市HP)
日本では2005年、クールビズが提唱されます。
クールビズは徐々に世間に浸透されていき、それは幸運なことに高島ちぢみのブランド確立の時期と重なりました。
メディアに取り上げられたり小売店で特設コーナーが設けられたりなど、高島ちぢみの知名度は全国的にグンと上がります。
2015年からは、日本と同じように高温多湿な東南アジアでも販売を開始し、国内だけでなく世界的なブランドとしての地位を確立しつつあります。
クールビスの期間になると、高島市の職員さんたちは、高島ちぢみのシャツを着用してPR活動をしています。
本当に涼しそうなので、思わず欲しくなってしまいますね!
高島ちぢみストール(ふるりHP)
高島ちぢみは、ふるさと納税の返礼品としても提供されています。
高島ちぢみのストールは、柔らかでシルクのような肌触りが自慢の逸品。
染め物ならではの絶妙な色合いも、とっても上品ですね◎
高島ちぢみストール(ふるりHP)
高島ちぢみのストールはオールシーズン使えて、カラーはピンクとブルー、グリーンの3種類が展開されています。
軽やかでキレイな色合いのなストールにも、高島ちぢみの苦難の歴史が詰まっているのだと思うと感慨深いですね。
高島ちぢみ (寄附金額:12,000円)
綿の細い糸を使用した高島ちぢみの綿ストール。
肌あたりがソフトでまるでシルクのような風合いです
高島ちぢみは、江戸時代から200年以上の歴史をもつ伝統的な織物。
現在のブランド確立にいたるまでには、危機に瀕したこともありました。
日本では少子高齢化や後継者不足によって、伝統技術を後世に引き継ぐことが難しい状況になっています。
そのなかで、地域の人々が一致団結して、高島ちぢみは再興を遂げました!
高島の熱い思いが込められた、高島ちぢみ。何だか応援したくなってしまいますね。